秋田県にかほ市象潟町象潟島

震災前取材

 

蚶満寺は廷暦年間(782~806)に比叡山廷暦寺の慈覚大師円仁が開山したといわれ、はじめは天台宗に属していたが、真言宗さらに曹洞宗に改宗し現在に至っている。この寺には北条時頼が諸国行脚の際に立ち寄った伝説があり、また時頼の蚶満寺への寄付状と殺生禁断の墨付が残っていることから、松島の瑞厳寺と同様に、この時期に宗派が変わったのだろう。

蚶満の名の起源については、古くはこのあたりを「蚶方」(きさかた)と書き、寺名も蚶方寺であったものをいつのころからか、蚶万寺と読み間違え、文字を改めて蚶満寺としたという。

この辺りは、かつて八十八潟九十九島の景勝の地「象潟」の中心にあたり、松尾芭蕉もこの地を訪れ、

「此の寺の方文に座して簾を巻けば風景一眼の中に尽きて…」

と書いている。

しかし、文化元年(1804)6月の出羽大地震でこの地は20mほども隆起し、多くの島々は陸地となり、現在は水田になっている。しかし、田植え時期に水田に水が張られると、かつての景勝の地が現出すると言う。

この寺には、七不思議の伝説が残る。

①、弘法投杉
かつて、参道入り口左側の老松のてっぺんの一枝がだれが見ても杉に見えることから、弘法大師の霊験によるものといわれ、「弘法投杉」と呼ばれていた老松が太平洋戦争の終わり近くまであった。現在は残っていない。

②、夜泣き椿
樹齢700年の椿で、寺に異変があるときは夜泣きするという。

③、あがらずの沢
小さな太鼓橋があり、この辺は昔深い沢で、ここに人が落ちると泥が深い為あがることが出来ない人取沢であったといわれている。

④、咲かずのツツジ
北条時頼が植えたと伝えられる二株のツツジのうち一株は普段は花が咲かない。寺に異変がある年に限り咲くという。

⑤、木登り地蔵
本堂裏手のモチの巨木の、上方の幹が分かれた間にちょこんと地蔵様がある。ある時地蔵様を木の根元に下ろしたが、翌朝にはまた元の所に登っていたと伝えられる。

⑥、姿見の井戸
平安初期の三十六歌仙の一人の猿丸太夫が、象潟に来た時この井戸に自分の姿を映して自らの行く末を占ったとされている。夜半だれにも知られず井戸に参り自分の姿を映せば、将来の姿が現れるといわれている。

⑦、血脈授与の木
ある時、入棺の際に血脈(戒名を書いたお守り)を入れるのを忘れた葬列がこの前までくると、忘れたはずの血脈が、ケヤキの枝につり下がっていたといわれ、それ以来このケヤキの古木は血脈授与の霊木といわれるようになった。

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