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秋田県にかほ市象潟町小砂川字三崎

震災前取材

 

三崎の古木鬱蒼としたタブの林の中に大師堂はある。貞観年中(859~77)、慈覚大師が草庵を結んだところで、当時はこの境内に二十三の寺院があったと伝えられている。大師はこの地に仏教を広めたばかりではなく、道路を開削し、この地の殖産興業にも尽力したと伝えられている。
大師堂の周辺には多くの五輪塔があるが、これらの塔は五輪塔としては本来の形とされている。方形、円形など5つの石を下から地、水、火、風、空と積み重ねて造ったものであって慈覚大師の当時のものもあり、石質からして他所からのものが多い。

この地には有耶無耶の関が在ったとも言われ、慈覚大師に関わる次のような伝説が伝わる。

昔、三崎山に手長足長という鬼が住んでいた。手は鳥海山のてっぺんまで届き、足は飛島までひとまたぎできたという。この峠を通る人々を捕らえては食べていたが、三本足のカラスが住んでいて、鬼のいるときは「ウヤ」、いないときは「ムヤ」と鳴いて知らせた。旅人はこの峠を通るときは、その鳴声を聞き分けて通行しなければならなかった。

慈覚大師はこれを聞き、人々のためにこの鬼を成敗しようとこの地に来たが、逆に捕らえられてしまった。鬼は大師を食べようとしたが、大師の法力のために食べることができず、遂には慈覚大師の意に従うようになった。大師は人を食わずにすむようにタブの実を与えた。そして旅人の供養のため五輪塔を建て、三崎山を去るときには鬼のためにたくさんのタブの実をまいた。それ以来鬼は人を食べることもなくなり、三崎一帯は、うっそうと茂るタブの林になったという。