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秋田県由利本荘市前郷字滝沢舘

震災前取材

 

滝沢城は、慶長8年(1603)、滝沢政道により築城されたが、築城から僅か16年で廃城となった短命の城で、本丸と二ノ丸で構成されている近世の平城である。

本丸は東西約95m、南北約78m、二ノ丸は、東西約200、南北約160mであり、かつては南に子吉川が流れ旭沼があり、他の三方には内堀と外堀二重の水堀が巡らされ、外周は土塁によって囲まれていた。

滝沢氏は、由利十二頭の一人に数えられていたが、天正3年(1575)、同じ由利十二頭の一人である矢島氏との戦いに敗れ、七代政家は討死し、政家の遺児は山形へ逃れ、その後最上義光に仕えた。

慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の際の出羽合戦で、その戦功により由利郡は最上義光が領有することとなった。義光は、滝沢氏の旧領滝沢郷ほか19ヶ村1万石を滝沢刑部少輔政道に与えた。それにより政道は慶長8年(1603)、前郷の地に城を築き居城とした。

滝沢政道、次いで弟政範の二代に渡って居城したが、元和8年(1622)、最上氏は改易となり、滝沢氏も所領を没収され、滝沢城も築城から僅か16年で破却された。