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秋田県由利本荘市矢島町元町字新町

震災前取材

 

根井館は、矢島盆地の中央部に南北に延びる比高約30mほどの丘陵台地に築かれている。最高所に八幡神社が祀られ、江戸時代は矢島藩生駒氏の祈祷所であったと云う。

城の規模は比較的小さく、居館を別に置いた根小屋式の城館と思われる。八幡神社がある主郭を中心に、東側、西側それぞれに、数段の郭が配され、北側の神社参道沿いにも小郭が配置されている。東西両郭群に堀切があり、東の堀切には土橋が見られる。

根井館は、由利十二頭の一人の根井氏初期の城館で、応仁年間(1467~69)に、根井式部少輔によって築かれたとされる。根井氏は、信濃佐久郡の名族の海野、滋野氏の流れといわれ、木曽義仲の四天王といわれた根井行親の末裔とされ、矢島根城館主大井義久と前後して信濃から入部したと伝えられる。

矢島の大井(矢島)氏は、仁賀保氏と度々争ったが、根井氏は矢島大井氏と同盟関係にあったようで、天正4年(1576)、山根館主の仁賀保挙長が、由利諸頭の軍勢とともに矢島の大井満安を攻めた時、この根井館も攻められたが、大井勢の反撃により仁賀保挙長を討ち取るなど大勝利を飾った。

しかし、文禄元年(1592)、矢島大井氏は由利諸頭の総攻めにあい破れ滅亡すると、根井氏は没落し帰農した。