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秋田県由利本荘市矢島町城内字八森

震災前取材

 

寛永17年(1640)、生駒高俊は讃岐から矢島へ移された。このとき、有名な金刀比羅大権現を分霊捧持し、この地に打越氏が祀っていた稲荷神社と合祀し、生駒家の武運隆昌と領内の安穏を祈願した。

生駒高俊は、父正俊の死を受けて11歳で讃岐17万石を継いだ。しかし、奢侈に流れ、藩政は家臣らにまかせ顧みることがなかった。このため、家臣同士に争いが起き、幕府の裁定にも従わず、藩内の家臣らが大挙して武装し藩を立ち退く騒ぎに発展した。

このため幕府は騒動の首謀者らを処刑し、讃岐生駒藩を改易し、高俊には矢島に堪忍料として1万石を与えた。高俊は矢島に移り、約20年の軟禁生活を送った。