2011/12/02

 

歴史散策⇒岩井崎

気仙沼の市街地をそそくさと後にして、国道45号線を石巻方面に少し走ると岩井崎と御伊勢浜に向う道がある。岩井崎は、気仙沼での仕事の時間調整などで、震災前から幾度か立ち寄り、その時間帯で様々な顔を持つ風景を楽しんでいた。震災直後から気になっていた地の一つでもあり、勇をふるって車を向けた。

国道からの入り口に、観光地にありがちな「岩井崎・御伊勢浜」入り口のゲートがあり、これまではいささか陳腐なこのゲートに関心を払うことなどなかったが、このゲートは無事にそのまま残っていることにいささかの感動を覚えて海岸に向った。

ゲートをくぐり、今は寸断され走っていない気仙沼線の踏切を越え、ものの2分ほど走ると、そこはすでに全く何も無い「荒野」が広がっていた。道の舗装さえ津波にはがされ、瓦礫を運ぶトラックのわだちで道路であることがなんとかわかるような状況だった。

この地には、観光や漁業に携わっていた多くの方々の民家が立ち並んでいたはずだ。動悸が高まるのが感じられ、入ってきたことを少し後悔しはじめていた。かつては民家や松林にさえぎられて見えなかった海が光っている。

岩井崎周辺の、観光客にイカ焼きやホタテ焼きを供していた店や、民宿など、それまで人間が営々として築き上げてきたものは跡形も無く押しつぶされ流されていた。恐る恐る岬の先端に向った。この日の海は静かで岩井崎の潮吹き岩も水柱を吹き上げることはなかった。人の築き上げたものに比べて、自然はしぶとい。あの大津波でも、岩井崎を形成する岩の形やその地形に、大きな変化はないようだった。

この岩井崎の先端部に、この地に生まれた江戸期の大横綱秀の山の銅像がある。この地の人々の営みが残らず根こそぎにされている中、この銅像だけは大津波をまともにかぶったはずだが、その基礎の部分が少し破損されているものの、しっかりと立っていた。いささか感動を覚え、海に背を向けて、銅像の背をたたいた。