2011/12/02

 

仕事で気仙沼に行った。震災後も気仙沼には3度ほど行ったが、行程の関係で暗くなってから行き、その夜に離れていた。そのため、震災の傷跡をダイレクトに見ることは無く、また見たくもなかった。

この日は、行程が常とは違ったために、夜中に気仙沼に入り、以前泊まった旅館が津波で流されていることもあり、バイパスの休憩パーキングで車中泊となった。

冬の遅い朝の光に目を覚ましふと見ると、太陽が昇り始めていた。そして驚いた。このパーキングから海が見えるのだ。かつてここからは町並みが見えるだけで海は見えなかった。それが東に水溜りが点在する荒野が広がり、その先の海から太陽が上るのがはっきりと見える。日の光は、それを享受する者が誰もいない無人の荒野に暖かくも空しく降り注いでいる。

すでに震災から9ヶ月近くが経過しているにも関わらず、先に見える「荒野」は、瓦礫がなんとか片付いただけの状態で、復興にはまだまだ程遠い状況だ。気仙沼では、まだまだひどい状況の所も多くあるはずで、中心部の被害が甚大な地域に足を向ける勇気はなおさらなかった。

ラジオのニュースでは、気仙沼は鰹の水揚げ量が40%も減少したにもかかわらず、その水揚げ量は日本一をキープしたと伝えていた。また、この地で唯一の書店が、完全に津波に押し流されたものの、その後、テントを張って営業を続けていた。それらは驚異的なことではあるが、実にこの地の方々の努力の賜物ではあるが、「荒野」に姿を変えた町の姿に、本来、行政が行わなければならない「復興」の兆しを見つけることは難しかった。

仕事を終え、そそくさと気仙沼の市街地を後にしたが、いたるところからそれまでは見えなかった海が見える。帰り道、震災前から何度か立ち寄っていた岩井崎とお伊勢浜の状況が気になり、蛮勇を奮うような気持ちで赴いた。