昨日は、陸前高田市から久慈市まで走り、その後、夜道を新郷村まで走り、道の駅に車中泊した。
さすがにかなり疲れ、到着するとすぐに寝入ってしまった。夜中の3時に目を覚まし、すぐに行動を開始した。
この日は、まず十和田湖を臨む滝ノ沢峠で、日の出を撮り、その後、八甲田に向かうつもりだった。夜の山道を走り、十和田湖南岸の休屋に抜けて、湖を西回りに滝沢峠に向かった。
日中であれば、湖を右手に臨みながら緑の回廊を走っているはずなのだが、周りは日の出前の真っ暗闇だった。
十和田湖は一昨年、今回のルートとは逆に、滝ノ沢峠で雲の十和田湖を眺め、霧の中の十和田湖を訪れ、その後、発荷峠に抜けた。
考えてみれば、すっきり晴れた十和田湖は訪れたことはなく、今回も滝ノ沢峠のあとは八甲田に抜ける予定で、十和田湖はスルーすることになる。十和田湖の謎は、霧の中にそのまま残ることになる。
十和田湖は、約20万年前から噴火活動が始まり、幾度かの噴火活動のあと、約2千年前に火山の山頂部に水がたまり、現在の十和田湖の原型ができたらしい。
その後の915年に大噴火を起こし、大規模な火砕流が発生し、周囲20kmが焦土と化した。火山灰は東北地方一帯を広く覆い、甚大な被害をもたらしたとされる。
また噴出物は十和田湖の西側に流れ、米代川流域を覆い尽くし、大災害をもたらした。
この噴火活動が、三湖伝説のモチーフの一つとなったと考えられる。
十和田湖のぬしだった八郎太郎は、南祖坊と十和田湖の覇権を巡り、争い、戦い敗れた八郎太郎は米代川沿いに災いを及ぼしながら、八郎潟まで下り、八郎潟のぬしとなった。
滝ノ沢峠に着き、狙いをつけていた展望台の位置を懐中電灯の明かりで検討をつけて、日の出前のわずかな時間を、峠の空き地で仮眠をした。
以前、この地では雲の十和田湖を眺め、身を震わせながら写真を撮った。この日は、どのような姿を見せてくれるのか。
わずかな時間のうちに深く眠ったようだ。ふと目を覚ますと、すでに東の空は赤みがさしていた。あわてて飛び起き、靴紐を締め直し、三脚とカメラ一式を抱えて展望台に上がった。
以前は、雲の海に隠れていたために気が付かなかったのだが、この日は晴れており湖面は低く、繁茂する木々に阻まれ、眺望は良いとは言えず、湖面もわずかしか見えなかった。
湖面から湧き上がる朝もやを期待していたが、今日はそれも見ることはできないようだ。しかし、以前は見ることができなかった日の出を見ることができるようだ。
濃紺色の空の、東の空だけが朱に染まり始めた。風の音を聴きながら、紺色から朱に染まっていく空を眺め、日の出までの至福の時間を過ごした。
前に来た時もそうだったが、今回もこの早朝の風景を見ているのは私一人だけだった。
恐らくはこの地で日の出を見られるのは、年のうち3分の1程度だろう。もしかすると年に10数人しか見ていないかもしれない。
滝ノ沢峠を後にして八甲田に向かう。十和田湖の北岸をしばらく東に進むと、コンクリート製の立派な展望台を見つけた。
先ほどまで朱色に染まっていた朝の空気は、今は澄んだ透明な光に覆われていた。ゆっくりと展望台に上がってみれば、そこからははるかに十和田湖の南岸を臨むことができた。
そしてその真ん中には、八郎太郎との戦いに勝利した南祖坊が、十和田湖のぬしとなり、湖に沈んだ、「占い場」の地が遠く臨むことができた。かつて濃い霧の中で見た十和田湖の謎の一つだ。
暗闇のなかスルーしてきた十和田湖の謎の一端を、清涼な空気の中ではるかに眺めたことで、幾分か心が晴れ、国道102号線を八甲田に向かった。