2011/09/27 福島県白河市

 

歴史散策⇒白河城址

この日、この白河小峰城は、震災の爪あとを見る二度目となってしまった。

白河小峰城も、以前、震災前に二度ほど訪れ、二度目は殆ど訪れる者もない城の北西側の古石垣など、仔細に撮影していた。たまたま時間に少し余裕ができたので、震災でどのような状態になったのか心配で訪れた。

駐車場に車を停めて、カメラを準備していると、駐車場の管理人らしい方がおられたので、被害の概要を聞いた。目と鼻の先の城址を直接見れば良いものを、その勇気がなく、心の準備が必要だった。

石垣の被害が思った以上に甚大なようだ。駐車場から芝生の二の丸跡に進むと、前方に三層櫓が見える。取り合えず遠目には櫓は無事だったようだが、工事用のフェンスが前面に回されているようだ。

全面崩壊したらしい、大手正面石垣は取り合えず避けて、南西部の特徴のある張り出しを持った石垣の方にまわった。なんとか形はとどめているものの崩壊の状況はひどい。写真を撮りながら少しずつ南側正面にまわった。被害の深刻さは次第に大きくなっていく。

被害の大きさに少しずつ慣れた目にもその被害は甚大だった。かつての威風堂々の高石垣は、立ち入り禁止のフェンスの中で、赤茶けた石切り場のごとくに変容していた。悔しさを押し殺し、冷静さを保つためにシャッターを何度か切った。

この城は、丹羽氏が、自ずからも含めた奥羽の外様の抑えにするため、その財力を削られ、屈辱に耐えながら心血を注いで築いた名城だ。東北の戊辰戦争の際には、奥羽越列藩同盟の諸藩が集結し戦った主戦場の城だ。建物は焼け落ちても、石垣だけはその後も長くその姿をとどめていた。それがほんの数分間の地震で、ここまであっけなく崩れ去るものか。

人間の営みなどは、自然の中では微々たる物なのだろう。泣き、笑い、争い、憎みあい、そして慈しみあい、それらを自然はまるごとぶち壊していく。それでも人間は、また崩れた石垣を積み直し積み上げながら、また喜怒哀楽を繰り返していく。このような人間は愚かなのではない、それが、人の尊厳に関わっているものなのだと、何の根拠もなく自分に言い聞かせた。