山形県鶴岡市羽黒町手向字羽黒山

震災前取材

 

蜂子皇子(はちこのおうじ)の墓は鶴岡市の東、羽黒山の山頂にある出羽三山神社のそばにある。蜂子皇子は崇峻天皇の第一皇子、聖徳太子の従兄弟で、出羽三山の開祖といわれ、能除大師や弘海などの異名をもつ。この地の墓は、東北地方では宮内庁が管理するただ一ヶ所の御陵である。

蜂子皇子は、欽明天皇23年(562)頃、崇峻天皇の第一皇子として生まれた。しかし、父崇峻天皇は蘇我馬子により暗殺され、蜂子皇子は丹後国の由良から船で逃れ北へ向った。そして、現在の山形県鶴岡市由良にたどり着いた時、八乙女浦にある舞台岩と呼ばれる岩の上で、八人の乙女が笛を吹き、舞いながら蜂子皇子を導き迎え入れたと云われている。

蜂子皇子はこの後、白髪の仙人の勧めで羽黒山をめざし、途中三本足の八咫烏に出会い、このカラスに導かれて羽黒山に入った。「羽黒山」という名は、このカラスの羽根の色から付けられたとも云われている。

山中に三年間参篭し、木の実やカヤの根を食として修業し、推古元年(593)、羽黒山を開山し、さらに崖下の岩窟で修行三年羽黒権現を獲得した。その後、月山、湯殿山も開山し羽黒修験道の基礎を開いた。

羽黒では、人々の面倒をよく見て、人々の多くの苦悩を取り除いた事から、能除大師と呼ばれる様になった。現在に残されている肖像画は、異形のものが多いが、多くの人の悩みを聞いた結果そのような顔になったとも云われている。

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