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山形県高畠町安久津

震災前取材

 

安久津八幡神社は、貞観2年(860)、山寺開創で知られる慈覚大師が、当時この地を支配していた安久津磐三郎の協力で阿弥陀堂を建てたのが始まりと言われている。その後、平安後期に奥州平定のため、この地に陣を敷いた源義家が、戦勝を祈願して鎌倉鶴岡八幡を勧請したと伝えられる。

その後神社は、置賜地方を支配した長井氏、伊達氏の庇護を受けて、この時代には「東八幡宮」と呼ばれ、最も栄えた時期であった。広大な境内には、別当神宮寺、学頭金蔵院、衆徒頭千殊院をはじめ12坊があったと云われている。

石畳参道の入口左手に、三重塔、参道途中に舞楽殿、その奥に本殿があり、これらの三建造物は県の指定文化財となっている。

本殿は、幾度となく火災に見舞われ、多くの宝物や記録は失われたが、わずかに残る記録から、明応9年(1500)、伊達尚宗により社殿が再建された記録が最古のものである。その後も数度の火災にあい、現在の本殿は米沢藩上杉氏九代重定のとき、宝暦5年(1765)に再建されたもの。三間社流造、茅葺、棟の両端には鬼板があげられ、屋根が半円形に張り出す特異な形状をしている。

三重塔の初建は、寛永2年(1625)といわれており、現在のものは、寛政9年(1797)に再建されたもので、方三間造で銅版葺き、置賜地方唯一の層塔である。舞楽殿は、室町末期のものといわれ、方一間宝形造、茅葺きで、毎年5月には倭舞(やまとまい)、9月には延年の舞が古式豊かに舞われる。

境内には、その他、鐘堂、千年松、流鏑馬的場跡などがあり、また裏山一帯には、安久津古墳群十数基が点在している。そのほか、奥の院の洞窟、片葉の葦、爺婆石、弘法清水などもあり、それぞれに伝説を残す。