山形県米沢市林泉寺一丁目…林泉寺

震災前取材

 

甘糟景継(あまかす かげつぐ)は、上杉二十五将に数えられる上杉氏家臣で越後上田衆。もとは上杉家家臣の登板家の出であるが、上杉謙信の命により甘糟家を継いだ。謙信、景勝の二代に渡り仕える。

越後上田の出身。謙信、景勝の二代にわたり仕える。川中島の戦いの折、武田信玄の勇将馬場信房、山県昌景の軍三千六百の兵に対して、千五百の兵で一歩も引かなかった。また第四次川中島の戦いでは殿軍を勤め、武田側の追撃を抑えて味方の越後退却を支えた。戦略眼、戦術構築など知勇あわせ持った武将として知られる。

関ヶ原の戦いの折には、白石城代として伊達政宗に備えたが、妻が病死した為に会津へ戻った一瞬の隙を突かれて伊達政宗に白石城を奪われた。景勝はこれに対して立腹し切腹を申し付けるが、兼続の取り成しで死罪は免れるが、その後不遇の晩年を過した。

慶長16年(1611)年死去。自害説もある。

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