スポンサーリンク

山形県米沢市万世町堂森

震災前取材

 

この慶次清水は、戦国末期に、天下のカブキ者としてその名を馳せた前田慶次が庵を結び、その時に使用した清水として今に伝えられている。

前田慶次は加賀の前田利家の甥にあたるが、その天来の奔放さから前田家を出て京都で浪人していた。その時期に直江兼続に出会い、上杉景勝の人柄にほれ込み、求めに応じ、関ヶ原の戦いを控えた時期に、兼続の与力として上杉家に仕官した。

西軍敗退により上杉氏が30万石に減封され米沢に移ると、慶次もこれに従い、わずかな禄のみを受け取りこの地に隠棲した。隠棲後は兼続とともに「史記」に注釈を入れたり、和歌や連歌を詠むなど自適の生活を送ったと伝えられる。