山形県米沢市舘山五丁目…館山寺

震災前取材

 

堀内家は、代々米沢藩医を勤めた家柄で、堀内忠寛(ただひろ、号:素堂)は蘭学を学び、22歳で上杉斉定の御側医に抜擢された。

江戸では杉田玄白の子の立卿(りゅうけい)や坪井信道などの一流の蘭方医と親交を深め、長崎にも留学し、医術の研鑽にはげんだ。また長崎で知り合った高野長英が逃亡した際、しばらく米沢に匿っている。

オランダ語の医学書を翻訳し「幼幼精義」を出版、日本で最初の小児科医書として著名である。その他「医家必携」などの著作も多く、その名望から全国から100人を超す門人が集まった。

安政元年(1854)3月、54歳で没した。

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