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山形県山形市霞城町…霞城公園内

震災前取材

 

済生館は、明治11年(1878)、山形城旧三の丸に、初代県令三島通庸(みしまみちつね)によって、県立病院として建てられ、人々から「三層楼」と呼ばれ親しまれてきた。

広い中庭と回廊をもつ、三層四階、高さ24mの洋風建築で、当時の太政大臣三条実美(さんじょうさねとみ)が、この病院を済生館と命名した。

三島県令は、オーストリア人の、アルプレヒト・フォン・ローレツを医学寮の教頭として招き、西洋医学の教育と診療を実施した。この病院と医学校は、東北地方におけるドイツ医学の中心となった。

昭和41年(1966)、明治初期の擬洋風建築の傑作として、国指定の重要文化財となり、この地に移築された。