山形県鶴岡市大網字岡田

震災前取材

皇壇(おうだん)杉のあるこの地一帯が、昭和11年(1936)に地すべりの発生によって移った大日坊の境内である。

大日坊は、大同2年(807)に開山されたと伝えられる、一度に1000人もの道者が泊まることができる客殿を持った宿坊であり、修験道の道場だった。

この杉は、高さ約27m、根周り約8m、枝の長さは東西南北ともに約22mある。景行天皇の皇子の御諸別皇子がこの地で亡くなり、その墓に植えられたものと伝えられる。

景行天皇の時代は、天災や暴動が多発しており、景行天皇は自ら兵を率いて西国に赴き反乱の鎮圧にあたり、その皇子らも各地に赴いた。その中で、日本武尊は東北岩手方面へ、御諸別王は東北山形方面へ出向き、天災や人災を祓う神社建立と地元の異族鎮定に当たった。

御諸別皇子は、この地に逗留し、この地に多く生息していた鷹を大網を張り捕らえ、弓矢の羽として朝廷に羽根を送り大変喜ばれた。そのため、この地は「大網」と呼ばれるようになり、また「出羽国」と呼ばれるようになったと伝えられる。

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