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山形県金山町日当

震災前取材

 

羽州街道は、福島県の桑折で奥州街道と分かれ、いったん宮城県に入り、金山峠を越えて山形県へ入り、上山、山形、新庄、金山を経て秋田県の院内、横手、大館、弘前、青森に至る宿駅五十八次の奥羽山脈の西側を縦貫する幹線街道だった。

秋田の佐竹氏、弘前の津軽氏をはじめ、諸大名の大名行列が参勤交代ごとに行き来し、また多くの旅人や荷を積んだ馬等が行き交った。
主要街道の整備は、幕府の道中奉行の管轄にあって、直接の整備の責任は沿道各藩が持ち、街道沿いの村々が道普請や並木の保護、宿場の人馬の常備や、助郷人馬の供出などを行ってきた。

藩政時代、金山はこの羽州街道の新庄藩北端の宿場として重要な位置を占めていた。この地の松並木は、当時の街道の名残を留める数少ない道である。

明治13年(1880)、三島県令により改修され、今は国道13号線がそばを通るようになったが、静かな松並木に、旧街道の面影を残している。