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山形県鶴岡市羽黒町手向字向山

震災前取材

この五重の塔は、高さ約30m、各層の屋根は勾配がゆるく、素木造り、柿葺、三間五層の優美な姿で、東北では最古の塔である。昭和41年(1966)に国宝に指定された。羽黒年代記によれば、平将門は、羽黒本社を延長4年(926)に2ヶ年を費やして造替、さらに五重塔を創建したと伝える。その後、庄内の領主で羽黒の別当であった大宝寺(武藤)政氏により修復再建、また最上義光により修復された。

この地を始めとし、出羽には平将門の伝説が多く残る。平将門の娘の如蔵尼が、はるかに相馬から羽黒山に来たり住み、羽黒で没したと伝え、また相馬へ逃げのびた将門の一族が、山形へ逃れ、さらにそこからこの地へ落ち延びたとする言い伝えもある。

平将門が乱を起こした時期と同時期に、この出羽においても天慶2年(939)に天慶の乱が起き、俘囚が蜂起して秋田城が攻撃を受けた。これらの一連の歴史が底流で連結しているのかどうかは定かではない。