岩手県紫波町上松本字境
2013/04/28取材
武田家住宅は、母屋は明和3年(1766)に、馬屋は翌年に建てられたもので、左構えの曲屋で、主屋の広さは約108坪ある。豪快勇壮で外観意匠も端麗である。
間取りは、上手奥に、奥座敷、下座敷、寝部屋の三室を置き、この奥三室と日常の生活空間の仕切りとして、幅二間の中座敷を配している。次に同じ幅で寝部屋、じょいを置き、手前の部屋の一角には格子窓を持つ小部屋が付属する。台所も広く取られていたが、現在はかなり改造されている。
部屋数も多く、広い間取りを持つことから、用材も太目である。台所の「にわ」には、巨大な上屋角柱二本が建ち、入口にはくぐり戸がついた大戸と格子がそのまま残っている。
座敷の上手には庭園があり、家格の高さを示しており、建物と庭園、そして田園風景が一体となった景観を形成している。
武田家には多くの古文書が残っており、藩政時代には、山守や用水の管理などを行い、その後も代々肝煎りとして村の産業の発展に寄与していた。明治になってからも水分村の村長二人を出している。