岩手県紫波郡矢巾町和味町場
2013/04/28取材
この地の一里塚は、盛岡南部藩十二代藩主、南部利済が、天保5年(1834)から翌年にかけて、志和稲荷神社参詣のための稲荷街道を整備させた時に築かれた一里塚である。志和稲荷街道は、盛岡城下から志和稲荷神社に至る参道として、古くからの安倍道を根幹にして整備された。奥州街道の脇街道でもある。
江戸時代の一里は36丁(約4km)だが、稲荷街道は室町時代の42丁(約4.6km)を使用しているため、奥州街道よりは塚の間隔が長くなっている。道路の拡幅などの改修が行われていないため、現在も両側に往時の姿を残している。
古い絵図に描かれている街道の様子からは、当時の活況を読み取ることができる。現在は岩手県滝沢市から紫波郡紫波町へと至る市町村道として整備されており、国道4号及び県道13号の裏道として利用され、岩手県内の幹線市町村道の中では最長である。