岩手県遠野市小友町22地割

2014/05/09取材

 

この小友の山々には、金を含む地層が入り組み、古くから金の産地として知られる。平安時代中期頃から盛んに金を採掘し、奥州平泉にも多く送られたと考えられている。

昭和40年(1965)頃まで採掘が行われており、小友の宿場町も、この頃まで鉱山師が出入りしていたが、今は稼働する金山はない。

この藤沢川では砂金が採れたと伝えられ、永承年間(1046~53)藤沢盛信がこの地に入り金の採掘を行った。盛信はこの藤沢川上流岸に「藤沢館」を築いたと伝えられる。

藤沢館は、石垣が二方に積まれ、下流に沿い大きく三段に築造され、一番高い敷地には清水池があり、水は屋敷跡の三段目まで土堰で流し利用していたとされる。後年、流域には砕石工場や砂防ダムなどが建設され、それに伴い、藤沢館の遺構の多くは失われている。

また館の向かい側の小高い岩の上に、那智大権現が氏神として祀られていたが、明治の始め、村人の手により現在の地に移されたのがこの応瀧神社と伝えられる。

この地の藤沢川には、上流1千mに及ぶ渓流に「四十八滝」と呼ばれ景勝の地となっており、大小の滝が続いている。