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福島県福島市小倉寺字椿舘

 

この碑は、北畠顕家600年祭にあたる昭和13年(1938)に、当時の渡利村の有志が中心となり、北畠氏の一族であり、この地にあった椿館の城主だったと伝えられる北畠顕国を偲び建立したもの。

中央の「春日侍従北畠顕国卿遺蹟」の書は、幕末の老中で外国奉行の小笠原長行の子で、海軍中将の小笠原長生の書である。

顕国は、南北朝期の延元2年(1337)、この地椿館を発ち常陸に戦い、転戦を続け、顕家の父の親房の拠った常陸の関城に戦い、興国5年(1344)に結城直光に殺害されたといわれている。

大日本史に、「親房吉野に帰るの後官軍の東国に在る者顕国一人のみ、その敗死するに及びて悉く敵の有となる」と記載されている。