福島県西会津町野沢字地蔵

2020/07/20取材

野沢の宿の西はずれに、本海という行者の墓がある。明和六年(1769)頃は、毎年八月には塚祭りが行われ、相撲、狂言、太神楽、念仏踊りが行われ、近郷近在から老若男女が集まり大変な賑わいだった。

この塚祭りでの奉納相撲は、昭和三十年頃まで行われており、戦前には櫓が組まれ、触れ太鼓が鳴らされ、出店も出て大いに賑わった。

この塚祭りの由来については次のように伝えられる。

この野沢の宿がほぼ出来上がりつつある頃、本海という行者がこの地を訪れ、高灯籠を掲げ祈祷をしていたら、その火が漏れて宿場が全焼してしまった。怒った宿場の人々は、本海を捕まえ、この地に生き埋めにしてしまった。

その後、宿場の人々は、幾度か宿場を再建しようとしたが、火災が絶えなかった。人々はこれを本海の恨みによるものと考え、陰陽師の言に従い、家ごとに高さ六間の高灯籠を掲げて、本海の霊を慰め、さらに壇を築き、本海を火防鎮火の聖人として祀り、塚祭りが行われるようになった。