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福島県只見町塩沢

震災前取材

  • 記念館裏の「終焉の地」碑
河井継之助記念館の後ろに、「終焉の地」の碑が立っている。

継之助らは会津へ向けて難渋しながら八十里峠を越えた。北越戦争で負傷していた継之助は、戸板で運ばれての峠越えだった。

峠を越えて会津藩領に入り、只見村にて休息をとった。継之助はここで、会津若松より治療に来た医者松本良順の診察を受け、松本が持参してきた牛肉を平らげた。しかし、この時すでに継之助の傷は悪化し破傷風を起こしており、手遅れの状態だった。継之助も最期が近いことを悟り、同行の藩士に後事を託した。

継之助は只見村を出発し、塩沢に到着し、矢沢宗益宅に投宿した。塩沢では不安定な状態が続いていたが、継之助は従卒の松蔵を呼び、ねぎらいの言葉をかけるとともに火葬の仕度を命じた。翌日の昼頃、継之助は談笑した後、ひと眠りすると眠り、そのまま危篤状態に陥いり、再び目を覚ますことはなかった。