福島県金山町川口

震災前取材

  • 案内図
玉縄城は、中丸城主山ノ内氏の七騎党持城の内の一つで、川口氏が築いた山城。

山ノ内氏は広い領内の支配体制を強固なものにするため、一族を領内各地に分封させた。天文13年(1544)に山ノ内俊満は中丸城主を長男の俊通( としみち)に譲り、末子俊甫(としもと)とともに只見川と野尻川の合流地点である川口に玉縄城を築き、川口を名乗った。

城は川口集落の西側、野尻川を挟んでそびえる山上に築かれた。左右に標高480mの山が対照的に並び、その下は断崖絶壁になっている。この鞍部を境にして、本郭と二の郭に分けられている。二の郭の端には、古峰原神社が祀られ、祭日には大きな梵天が奉納されたので、土地の人は梵天山とも言っている。

天正17年(1589)、伊達政宗は葦名氏と雌雄を決すべく、葦名領に侵攻した。このとき、山ノ内氏は葦名義広の救援のため会津黒川城へ向かったが、義広はすでに実家である常陸佐竹氏のもとへ逃れた後だった。このため山ノ内氏は、黒川城へ入城した政宗に対して一旦は服属した。しかし、山ノ内宗家の氏勝は、分家の野尻、川口氏らに無断で帰国、伊達氏と戦端を開いた。これに怒った野尻、川口両氏は伊達氏側につき、奥会津制圧の先陣として本家と戦った。

戦後、川口俊安は伊達氏に臣従、一族と共に米沢へ移り、その後白石に移った。

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