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福満虚空蔵尊圓蔵寺は、大同2年(807)、徳一大師が建立したと伝えられる古刹。茨城県東海村の大満虚空蔵尊、千葉県天津小湊町の能満虚空蔵尊と共に日本三大虚空蔵尊の一つに数えられており、今でも多くの参詣者を集めている。
福島県柳津町柳津字寺家町甲
震災前取材
縁起によれば、弘法大師が唐の高僧から霊木を授かり、帰国後にその木を三つに分かち海に投げいれたところ、茨城、千葉、そして越後に流れ着いた。越後に流れ着いた霊木は白蛇が柳津の地に運んだという。これを聞いた大師は、さっそくその木で虚空蔵尊菩薩を刻みあげ、それを会津の名僧・徳一大師が圓蔵寺を開創し祀ったと伝えられている。
福満虚空蔵尊は、古くから多くの崇敬を集め、中でも戦国の武将織田信長、豊臣秀吉、秀次、蒲生氏郷、加藤嘉明など名将達が寺領等を寄進した。また徳川将軍家は永久祈願所とし厚く保護した。会津藩は、保科正之以来明治維新まで、寺領等を寄進しこれを庇護した。
堂宇は、開山以来たびたび水害、火災等による被害を受けたが、現在の菊光堂は、会津藩主松平家により文政13年(1830)に落慶したもの。元亀2年(1571)建立の金銀をちりばめた「光堂」よりきらびやかさはないが、堂内欄間をはじめ、秀れた彫刻がほどこされた白木造りの堂宇は重厚さが感じられる。
この菊光堂を観月橋や瑞光寺公園より見ると、出城か砦の様な景観をしており、会津戦争の折には発砲事件が起り、住職が舞台上に立ち、それを制したという武勇伝も残っている。