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福島県会津坂下町宇内字五目

震災前取材

  • 実測図(現地解説版)
陣ヶ峰城は、平安時代末期の城館で、旧越後街道沿いの周辺を一望に見渡せる比高約30mの平山城である。平面形は台形状で、東側は段丘崖で、北、西、南には二重堀が巡っている。虎口周辺は幅5~8m、深さ2~5mほどだが、北、南側では幅10~15m、深さ10mほどの巨大なものになっている。主郭の規模は、東西約110m、南北約170mで、西側を入り口としており約2mほどの土塁が見られる。

調査の結果、北側に主殿と考えられる大型建物跡が存在し、中国産の白磁壷や水注などの奢侈品と、税金の基準となる秤の錘などが出土している。東側には厨跡と考えられる建物が存在し、火災により炭化した椀や大量の飯類や穀豆類などが出土した。また、南側には固くしまった面が広がっており、馬場があったと考えられる。

築城時期や築城主は不明であるが、出土物から12世紀初期に築かれたと想定され、この時代の会津坂下町は、摂関家藤原忠実の蜷河荘がありその中心的施設だったと思われる。また古文書には、奥州平泉の藤原秀衡に所領を横領されたともあり、その構造が平泉の柳の御所との共通性もあり、平泉藤原氏が修築したものと考えられる。

また一説では、越後の鳥坂城主の城四郎長茂と慧日寺の衆徒頭乗丹坊に攻撃されたとも伝えられ、その後の城氏の会津進出の拠点の一つだったも思われる。