福島県会津美里町本郷道東

2012/07/05取材

  • 徳元堂
高橋徳元は、葦名氏の重臣である富田氏の一族と伝えられ、先祖は葦名氏に典医として仕えていた。しかし葦名氏は摺上原の戦いで伊達氏に敗れ、会津の地を去った。

徳元はこの柳久保村に移り帰農した。しかしこの地一帯は水の便が悪く、徳元は慶長2年(1597)、馬越村の大川より灌漑水を引き入れる遠大な事業を計画し、私財を投じ着手した。

山を切り開き洞穴を掘るなど難工事で、苦節二十八余りの歳月を費やし、寛政3年(1626)、約7kmの用水堀の開通を成し遂げた。

この工事により、この地の水不足は一挙に解消され、穂谷沢村から本郷村に至る七ヶ村の広汎な地域、160町歩の田畑が潤い、農民の生活は豊かになった。

その後、村人らが徳元を顕彰し小堂宇が建てられた。