福島県会津美里町本郷

2014/03/25取材

  • 肝煎の門
寛永4年(1627)、会津の領主加藤嘉明より、遠藤常康がこの地方の肝煎に命じられた際に建てられたもの。

門は四ツ足門で、肝煎の格式を表しているとされる。

遠藤氏は古くは豊臣方の武将だったと考えられ、遠藤家には天正12年(1584)の長久手の戦いで、織田・徳川の連合軍を破った功をあげ、豊臣秀吉からの感状が伝えられる。

また、慶応4年(1868)の太政官定も伝えられており、これは徳川慶喜が大政奉還を行った際に人心が動揺し、その混乱に乗じたキリシタン活動を禁止したもの。