福島県石川町下泉

2011/09/03取材

  • 現地案内板
 

この八幡山一帯には巨石が点在する。太古の時代より、この地において、山そのものや、巨石を信仰の対象とする自然崇拝を行い、一年間の吉凶や、物事の神意を占ったとされる。石都々古和気(いわつつこわけ)神社の創建の年代は不明であるが、延喜式年間(901頃)にはすでに社殿があったようで、式内社の一社に数えられている。

永承6年(1052)、前九年の役に際して、福田安芸守源有光は、父頼遠と共に、源頼義、義家父子に従い、安倍氏追討に加わった。その功によりこの地を賜 り、康平6年(1063)、源有光はこの地に下向し、名を石川有光と改めた。

石川有光は、今出川が東より南を巡り、巨石が重なる自然の要害の地のこの地に三芦城を築城し、治暦2年(1066)、京都石清水八幡宮を分霊し合祀した。

石川氏は、二十四代昭光までの実に500年間この地を居城とし一帯を支配した。しかし戦国末期に豊臣秀吉の奥州仕置により所領は没収されこの地を去った。

その後は、石川氏家中の重職にあった溝井家、丹内家、又神官の吉田家が、神事、祭事を守り現代に伝えている。

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