福島県浅川町白石字古屋

2015/04/16取材

  • 上り口
 

別名:山白石城、満月城

南側が大手口と思われ、北にのぼると段状に畑があり郭跡と思われる。両側に尾根が伸びており、尾根上にも郭が配されていた。

標高420m、比高約50mほどの最高所が主郭であり、現在は畑になっている。東西約100m、南北約100mほどで、途中で2段になっており、西側が高い。

築城時期、築城主は定かではないが、戦国期末期には石川氏一族の白石若狭守光重が居城としたと伝えられる。

この地は白河結城氏、田村氏などとの争乱のちであり、南西約2kmにも浅川城がある。最終的には伊達氏と佐竹氏・葦名氏の争いになり、当初石川氏は佐竹氏側についた。しかし刷上原の戦いで葦名氏が滅亡し、南奥羽は伊達氏が支配するところとなり、石川氏は伊達氏につき、その後は伊達氏と行動をともにすることになる。