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福島県白河市旭町一丁目
震災前取材
文明13年(1481)奥州の旅の途上にあった、室町時代の高名な連歌師の飯尾宗祇は、白河の鹿島神社で、白河城主の結城政朝(ゆうきまさとも)が連歌興行を行うということを聞いた。
これに寄ってみようと思い立ち、白河に立ち寄り、三十三間堂通りの近くの坂まできたとき、鹿島神社の方から来た荷物を背負った綿売りの女とすれ違った。宗祇はこの女に連歌の会のことを尋ねると、連歌の会はとうに終わってしまったと言う。
宗祇はたわむれに、背負っている綿は売り物か、と尋ねると、女は、
阿武隈の 川瀬にすめる 鮎にこそ うるかといえる わたはありけり
と、この綿は売り物ではない、と言う意味を込めて即座に答えた。
これを聞いた宗祇は、綿売りの女でさえこれほどの歌の心得があるのかと驚き、都へ引き返したという。