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福島県白河市関辺字関山

震災前取材

  • 関山遠望
 

関山の歴史は古く、天平2年(730)に行基が満願寺を開山したときに始まる。その当時の関山には、山麓から山門や伽藍が山頂まで続いていたと云う。しかし何度となく襲った山火事で大方の建物は焼失し、現在山頂に建つ小さなお堂は、昭和20年の大火事の後に建てられたもの。

この関山満願寺には、聖武天皇の勅願によって、行基が光明皇后の守本尊の正観世音菩薩を奉持し、満願寺を創立したという。天平9年(737)には、聖武天皇の勅命により良弁僧正の金銅の正観世音が奉安され、また弘法大師が使用した、五智宝冠が安置されている。

関山には江戸時代元禄期に、松尾芭蕉と曾良が訪れており、登り口には奥の細道の碑が建っている。『曽良日記』には以下のように記してある。

「旗の宿より峰迄一里半麓ヨリ峰迄十八丁、山門有り、本堂有り、奥に弘法大師行基菩薩堂有り。山門と本堂の間、別当の寺有り、真言宗の寺なり本堂参詣ノ此、小雨降る。暫時止」

関山周辺は三度ほど戦の場になっている。天正15年(1587)、岩城常隆と佐竹義重の合戦が戦われた。また、慶長5年(1600)には、上杉景勝の白河城将、妹川越前守と東軍の那須伊王野下総守嫡男資重の合戦の戦場になった。また、戊辰戦争の折には、棚倉藩が大砲を関山の山頂まで上げ、この地は砲台場になったこともある。

山頂からの眺望はすばらしく、白河周辺の人々にとっては絶好の散策の場にもなっているようだ。