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福島県小野町谷津作字鬼石

震災前取材

別名:珍敷神社

この祠は、平安時代初期の六歌仙にも数えられる歌人であり、絶世の美人とうたわれる、小野小町の母親である愛子(めずらこ)を祀ったものである。

愛子は、この地に下向した小野篁(たかむら)の屋敷に仕えたこの地の長者の娘だったが、篁との間に比古姫をもうけたが、この姫が6歳の時に父と共に都に上り、長じて小野小町となったと伝えられる。

篁がこの地を去ってからは、この地に残った愛子は、篁の館の平館の主として里人たちに慕われたと云う。後世、水羅子、または珍敷御前とも尊称されたと云う。

平館の西側に愛子の墓があり、この祠は、かつてはその近くにあったが、道路の工事や、磐越東線開通工事のため現在地に移った。かつての場所には、今も愛子の墓と伝えられる五輪塔がある。