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福島県郡山市安積町日出山三丁目

震災前取材

 

郡山市街地の南端、日出山の篠原川に、「ささやき橋」はある。この橋にも采女伝説が伝えられている。当時の橋はもう少し上流にあったと伝えられているが、この近辺を東山道が通っており、源義家や源頼朝もささやき橋を渡ったことになる。

都からこの地に、葛城王が巡察使として訪れた。葛城王をもてなす宴が開かれた際、王はちょっとしたことで機嫌を損ねてしまった。そこで里長は娘の春姫を宴の席に出し、春姫は心から王をもてなし、

安積山 影さえ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思わなくに

と詠み献上した。

和歌にすぐれた王は大変喜び、またこの春姫を大層気に入り、彼女を釆女として差し出せと命じた。彼女には太郎と言う許婚がいたが、聖武天皇の片腕でもある葛城王には逆らえず、従わざるを得なかった。

この橋の上で、春姫と太郎は、泣く泣く最後の愛をささやいたと伝える。その後悲嘆に暮れた太郎は山の井に入水し、春姫は、都の興福寺猿沢の池に飛び込んだ振りをして安積に逃げ帰った。しかし太郎は既に亡き人と知り、後を追って山の井に飛び込んだと云う。

この采女の伝説は、様々に伝えられており、この地でささやいたのは葛城王だったとも云う。それによると、

葛城王が都に帰るとき、王は橋の上で別れを惜しみ、この地まで見送りにきた春姫に何やらささやいたが、里人には何も聞こえず、川の流れも一瞬止まったと云われ、後にこの川は「音無川」、橋は「耳語橋」と呼ばれるようになった。

 

なお、永承6年(1051)、源頼義、義家は東征の際にこの地に差し掛かったが、そのとき、この橋は朽ちていて渡れなかったと云い、源頼義は

あづま路や ささやきの橋 中たへて 文だに今は かよはざりけり

みちのくの 音無川に わたさばや ささやきの橋 しのびしのびに

の句を詠んだと伝えられる。