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福島県郡山市開成五丁目

震災前取材

 

この建物は、福島尋常中学校本館として、明治22年(1889)に完成した。明治時代の代表的な洋風建築で、玄関のポーチ、ベランダ、上げ下げするバランス窓などに特徴がよく表れている。昭和52年(1977)、国の重要文化財に指定され、現在は安積歴史博物館として公開されている。

明治19年(1886)4月に中学校令が改正され、全国で一県一中学校の原則となった。福島、平、若松にあった福島県の三つの中学校は福島中学校にまとめられ、明治20年(1887)には福島県尋常中学校となった。その後、福島県議会で郡山の桑野村に移転することが決まり、校舎が完成した明治22年(1889)3月に移転した。

明治のはじめ、この地は大槻原とよぶ未開拓の原野だった。明治6年(1873)、中條政恒が郡山の代表的な商人たちと開成社をつくり原野に鍬を入れ安積開拓がはじまった。この安積開拓が、明治11年(1878)からは明治政府の士族援産政策と結びつき、安積疏水の開鑿を含む国の事業として進められ、九州の久留米をはじめ、全国各地の8つの旧藩から士族が移住し、開拓をすすめた。

この安積開拓の地に福島中学校の校舎が造られたことから、「開拓精神」がその校風の基礎になり、安積中学校、安積高等学校と受け継がれている。

卒業生としては、高山樗牛、久米正夫、久米正雄、中山義秀などの作家、また、京都帝大総長の新城新蔵、小西重成、国際的歴史学者の朝河貫一などがいる。