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福島県郡山市片平町字王宮

 

奈良時代、この地は塩の入の郷と称し、民家800戸を数えた。葛城親王がこの地に按察使として降り、村里の状況を視察した。里人は親王をもてなしたが、ちょっとしたことで気嫌を損じてしまった。そこで里長は美人で評判の春姫を召し出し接待した。春姫は心から王をもてなし、王の前に杯を捧げ、

安積山 影さえ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思わなくに  (万葉集)

の歌一首を献じ、親王の怒りを解き、後三年間の租税を免ぜられた。

葛城親王は、春姫を帝の采女として召し出すよう申し渡した。春姫は悲嘆にくれたが、里人の窮状を救うために許婚の小糠次郎と別れ、王とともに都にのぼった。都で春姫は帝の寵愛を受けていたが、ある日、猿沢の池のほとりで月見の宴が開かれたとき、次郎への思いがつのり、宴席を離れ、柳の木に衣を着せかけ、池に身を投げたように見せかけ、一路安積の里をめざし逃げ帰った。しかしその時すでに次郎は山の井の清水に身を投げこの世にはなく、春姫も清水に身を投げ果てたという。

この後、葛城親王は天平宝宇元年(757)74歳で没し、この地に埋葬されたと云う。この境内は一般者の立ち入りを禁じ、春姫と親王の祠が創宮された。

その後、鎌倉時代になると、平泉征伐の戦功により伊東氏がこの地を領し、領内の鎮護の神と自国の神々を併祀、江戸時代には二本松藩主丹羽氏の庇護を受け、片平組11ヶ村総鎮守と崇敬され現在に至る。

近くに采女公園があり、采女塚、山の井の清水があり、郡山では毎年采女祭りが行われ、陸奥の五大祭りの一つになっている。