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福島県郡山市片平字荒池下

震災前取材

 

奈良時代、この安積の里では冷害が続き、朝廷へ税を納めることができないほどだった。このようなとき、都から葛城王が巡察使としてこの地を訪れた。里人たちは窮状を訴え、税の免除を願ったが聞き入れられず、その夜の王をもてなす宴では王は終始不機嫌の様子だった。そこで里長は、美人で評判の春姫を召し出し接待した。春姫は心から王をもてなし、王の前に杯を捧げ、

安積山 影さえ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思わなくに  (万葉集)

どうしてご機嫌が悪いのですか。安積山のふもとに山の井の清水があります。安積山の影を水面に映し、浅い井戸のように思われますが、とても深い清水です。私たちが王をお慕いしている気持ちはそれと同じにとても深いものです。
と詠み献上した。

王は大変喜び、春姫を帝の采女として献上することを条件に、税を三年間免除することになった。春姫には、次郎という相思相愛の許嫁がおり悲嘆にくれたが、里人の窮状を救うために許婚の小糠次郎と別れ、王とともに都にのぼった。

都での春姫は、帝の蘢愛を受けていたが、仲秋の名月の日、次郎恋しさに猿沢の池畔の柳に衣をかけ、入水したように見せ、愛する次郎の待つ安積へ向かった。しかし、その時すでに次郎は山の井の清水に身を投げこの世にはなく、また里人たちも都からの後難を恐れて、春姫を見る目は冷ややかだった。

春姫は雪の降る夜、次郎と同じ山の井の清水に身を投じた。この地に春が訪れると、山の井の清水のまわりには一面に名も知れぬ薄紫の美しい可憐な花が咲き乱れ、これを人々は「花かつみ」と呼び、春姫と次郎が生まれ変わったものと噂したという。

現在、「山の井」は、この地のほかに日和田の安積山公園にも復元されている。松尾芭蕉は日和田のあたりでこの「花かつみ」を探し回ったが、すでにそれがどのような花かを知っている者はいなかった。当時すでに「山の井」は、日和田の地と、この片平の地の両方に語り継がれていたようで、曾良の随行日記には、
「あさか山有。壱り塚ノキハ也。右ノ方ニ有小山也。アサカノ沼、左ノ方谷也。皆田ニ成、沼モ少残ル。惣テソノ辺山ヨリ水出ル故、いづれの谷にも田有。いにしへ皆沼ナラント思也。山ノ井ハコレヨリ(道ヨリ左)西ノ方(大山ノ根)三リ程間有テ、帷子ト云村(高倉ト云宿ヨリ安達郡之内)ニ山ノ井清水ト云有。古ノにや、不しん也。」 とある。