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福島県郡山市湖南町三代字太田

震災前取材

 

三代(みよ)の一里塚は、猪苗代湖岸沿いに、白河から会津若松に通ずる白河街道にある。白河街道は、天正18年(1590)、豊臣秀吉が会津に入ったときに開発した道路で、江戸時代には、佐渡で産出した金を江戸へ運んだり、会津藩の廻米道として重要な街道だった。

一里塚は、街道を通る旅人の里程の目標として一里ごとに築かれたものである。寛文7年(1667)に会津藩は幕府の命により白河街道に一里塚を築き、この塚は、会津若松の基点から七里目の塚である。

現在、三代の一里塚あたりは新道が通り、かろうじて残された旧道の両側に二基とも残っている。南の塚は周囲33m余、高さは4m以上あり、北の塚もほぼ同じ大きさである。現在、二基ともほぼ完全な形で残っており、貴重なものである。