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福島県郡山市湖南町舘

震災前取材

 

横沢館は、安積伊東氏の 一族、伊東河内守祐行が築いたのが始まりとされ、築城年は定かではないが、元応2年(1320)に改修されており、それ以前となる。猪苗代湖畔に面した湖南町舘地区一帯が城域であったと云うが、現在は住宅地と田畑になっている。

館跡としては全く未整備で、それでも遺構と思われる地形が散在している。この館は、安積伊東氏の湖南、湖西進出の拠点として、その規模は湖南、湖西随一だったと云う。現在の月形小学校が北東隅に当たり、北側の一角に、城中守護の稲荷神社が土塁と思われる上に鎮座している。また水堀跡と思われる地形も散見できる。

伊東祐行は、文治5年(1189)の奥州合戦の功により安積郡を領した、工藤祐経の次男で、安積郡西部および会津郡北部の36郷を領したと云う。その後横沢と改め横沢氏の祖となった。

しかし安積伊東氏一族は結集できないまま戦国時代を迎え、横沢氏は十代持行の代に、会津黒川城主葦名氏に服属した。天正17年(1589)、葦名氏が摺上原の合戦で伊達政宗に敗れると伊達氏に降り、その後伊達氏が岩出山に移るとそれに従い、この城は廃城となった。