福島県郡山市逢瀬町多田野字浄土松

震災前取材

 

浄土松山は、カッパドキアのようなキノコ岩と呼ばれる奇岩が林立する、独特の景観を見せてくれる。この地は古くから知られる名所で、松の緑が点在する様は松島にも似ていることから、「陸の松島」とも言われている。

丘陵は、白色の凝灰岩、砂岩、頁岩などからなり、風化による抵抗の違いにより風侵の度合いが異なり、長い年月を経てキノコ状になったもの。現在は、浄土松山を中心にした「浄土松公園」として整備されている。

この地はかつては芦野の里と呼ばれ、中丸長者という長者が住んでいた。あるときこの長者の屋敷は盗賊に襲われ、長者一族は皆殺しにされてしまった。この盗賊はその後も度々里を襲い、里人たちはほとほと困り果てていた。

このような時、東征のためこの地を通った八幡太郎義家は、里人らの頼みを聞き入れ、剛勇の鎌倉権五郎景政に命じて盗賊を征伐した。その後、この功により権五郎景政の子孫がこの地を領することになり、姓を「多田野」と改め、館を築き、浄土松山を庭園として愛したと云う。

江戸期になると、この地は二本松藩領となり、寛永20年(1643)、丹羽光重が二本松に城を築いた。丹羽氏はこの地を愛し、度々訪れ。ここを領内最高の景勝地として「陸の松島」の呼んだと云う。

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