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福島県本宮市岩根字深沢

震災前取材

 

ここの抱付観音は役の行者が開基したと伝えられている。行者が水を汲みに立ち寄ったところ、この地に湧き出る水は清々しく、峰の中腹には紫雲がたなびき、観世音の霊場であることをさとったという。

その後、玄丘という僧がここの清水で口をすすぎ、木の下でうたた寝をしていたところ、仙人があらわれ、「山の中ほどに、大岩がある。そこに観世音の祠を建て、上に正覚を求め、下に衆生を導きなさい」と言って消えた。玄丘は仙人の教えを守り、観世音の尊像を祀り、以来、灯篭に明かりを入れ続けた。

天正年間、伊達政宗が二本松を攻めたときに、この地にいた会津葦名の兵はここの尊像を背負って会津に逃れた。しかし、天が雷鳴し、尊像が大岩に抱きつき、磨崖仏としてよみがえった。以来、抱付観音と呼ばれるようになったと云う。