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福島県本宮市本宮字舘ノ越

 

安達太良神社は、市街に連なる北方の菅森山にある。もとは、安達太良山麓に鎮座していたが、久安2年(1146)に現在地に遷座した。そのとき、安達太良山の神々とともに安達太良山支峰の大名倉山の神も合祀し、安達太良明神と称し、安達一郡の総鎮守とした。この時、本目の地名を本宮と改めた。いまの社殿は 文化13年(1816)に 焼失したために 再建されたもの。

この神社の柱には、戊辰戦争のときの弾痕が残る。明治元年(1868)5月1日、新政府軍は白河での戦いを制し白河城に入城した。6月には板垣退助らの援軍が入城し、鶴ヶ城攻略へと動き出した。

6月23日には棚倉を落し、7月26日には三春藩を落とした。新政府軍は破竹の勢いで進軍し、本宮はその通過位置にあった。安達太良神社の地は、本宮の小高い丘の上にあり、かつてはこの地 は古い城館のあった地であるため、白河や棚倉、三春からの敗残兵が篭ったのかもしれない。

しかし新政府軍は、7月28日にはこの地を取り、翌29日には二本松城を陥落させて会津に向かった。