福島県二本松市戸沢字月夜畑

震災前取材

 

最勝寺は室町中期の応永30年(1423)頃、菊池頼来によって建てられたと伝えられる。菊池頼来は熊本肥後の菊池武士の孫にあたり、南朝方の軍勢の催促のために この地に来たと伝えられる。

菊池氏は征西将軍懐良親王を肥後の本城に迎え、九州南朝方の中心として活躍した。菊池武光は足利方の少弐氏と戦い、九州探題の一色氏、斯波氏を破り、大宰府をおさえて、九州における南朝の最盛期を現出した。しかしその後次第に南朝勢力は衰退し、足利義満の時代の 明徳3年(1392)、南北朝合一が行われる。南朝の後亀山天皇は、京都への帰還にあたり、南朝警備の菊池諸氏に解散を命じ、僧形に変えさせ奥州に落去せしめられたと云う。

この地に来た菊地頼来は、この地の田向に居し、没した後最勝寺の地に葬られコウヤマキが植えられたと伝えられている。南朝方がその後復活することはなく、菊池一党はこの地に住し、後に、四本松の石橋氏や三春の田村氏に属し、当時の石橋氏の重臣の大内氏の娘を娶り、その子孫はこの月夜畑の地のほか、田向、築山館、松ヶ平、赤馬館に分居した。

この最勝寺の地には月夜畑館があったが、伊達政宗と大内定綱との争乱をはじめとし、関ヶ原の戦いの後には相馬氏により攻め込まれるなど、いく度もの争乱に巻き込まれ、明治に入っての戊辰戦争では、これらの歴史を証明する寺宝も政府軍により持ち去られ、伝承のみが残っている。

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