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福島県二本松市太田字本町

震災前取材

 

天喜3年(1055)、前九年の役に従った源義家の家臣、伴次郎助兼がこの地に所領を得て、治暦元年(1065)城を築いた。安達郡では最古の城となる。助兼は生国の摂津住吉から四所明神を勧請し、四本の松の苗を館に植えたと言われ、これがこの地方四本松の地名の由来とも云われている。

しかし文治5年(1189)、伴武知は源頼朝の奥州征討軍と戦い討死にし伴氏は滅亡、田原次郎秀行がそのあとを受けて領主となった。そして秀行の子成清(異説あり)の代に、川向かいの四本松城を築城し移ったが、その田原氏も、暦応元年(1338)斯波貞持と争い滅亡した。

その後、石橋氏がこの地方を支配したが、四本松城、宮森城を本拠城とし、早い時期にこの城は廃されたものと思われる。

現在、城山の中腹に住吉神社が鎮座し、その裏山が本郭のあった場所で、古井戸と館跡の平場が残る。