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福島県二本松市西勝田小浜

震災前取材

 

永禄12年(1569)、石橋家四天王の筆頭だった宮森城主大河内備中は、主の石橋氏に背いた他の四天王の大内備前、石川弾正、寺坂信濃等に攻められ滅亡した。

この折に、備中の甥の大河内宗四郎は、太刀をふるって敵中を切り抜けて宮森城に入ろうとしたが、すでに城は敵の軍勢により囲まれ入ることが出来なかった。 取って返して搦め手に向かったが、敵が追いすがり、遂に進退きわまり、この石の上に登り腹をかき切って討ち死にした。このとき宗四郎は22歳だったという。