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福島県二本松市西勝田小浜

震災前取材

 

ここでの「稚児」とは、宮森城主大河内備中の側室の子である。

永禄12年(1569)、宮森城が主の石橋氏に背いた大内義綱らにより攻められ落城した。このとき、城内からその母が子を抱いて逃れ出たが、義綱により発見され、子はその場で斬殺され、母は囚われのみとなった。

村人らは、この稚児の死を憐れみこの地に手厚く葬ったと伝える。