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福島県二本松市油井字寺屋敷

震災前取材

 

鞍石山は、伊達政宗が二本松城攻めの折に、伊達重臣の片倉小十郎が陣を敷き、愛馬の鞍を山頂の巨岩に掛けてしばし馬を休めたところから、鞍石山と呼ばれるようになったと伝えられる。

この地は、詩人高村光太郎がその作品「智恵子抄」のモデルで、妻の智恵子の生家のすぐ北側に位置し、光太郎の詩「樹下の二人」の舞台とされる。

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あれが阿多多羅山、

あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、

あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫。

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病弱の智恵子は、1年の内の半分は古里で過ごしていたが、光太郎は大正12年(1923)智恵子の実家を訪ね、鞍石山をともに歩いたと云う。二人はこの山の崖に腰を下ろし、智恵子が愛した「ほんとの空」の下、実家の酒蔵や安達太良山、光る阿武隈川が見える眺望を楽しんだと云う。

現在、この鞍石山一帯は、智恵子の杜公園として整備され、「樹下の二人」の詩碑が立っている。