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福島県広野町北迫

 

天明4年(1784)から天明8年(1788)にかけて、東北の各地は大凶作になった。この地でも、多くの人々が飢餓や疫病により亡くなった。このお地蔵様は、これらの人々の供養のために、近郷近在十ヶ村の人達により、天明8年(1788)に造立された。

昔は、長雨が続き不作が心配されると、お地蔵様の前に近在のお年寄り達が集まり「天道念仏」の数珠繰りをして雨止みの祈願をしたと云う。

この地蔵様は、もともとは旧広野に祀られていたが、一時林蔵寺に移されたことがあった。しかしその後しばらくして、旧広野の町は大火にあい、町の人々は「これは地蔵様を移したからだ」と噂し、林蔵寺に願い再び元の場所に移すことになった。林蔵寺に移したときにはなかなか動かなかった地蔵様だったが、この時は載せた台車も楽に動き、お地蔵様も喜んだ顔をされていたと言い伝えられている。

やさしい顔立ちからか、子育ての地蔵としても崇敬を集め、今も子育ての祈願や、亡くなった子供の冥福を祈る親たちが参詣していると云う。また、イボ取りの地蔵としても知られ、お地蔵さまの台座前に置かれた小石を持って帰り、イボをさすると治るともいわれていることから、「イボ取り地蔵様」とも呼ばれている。