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福島県富岡町新夜ノ森

 

西願寺は、安政4年(1865)に創建された。戊辰戦争の際に、この地は相馬藩を主力とする同盟軍と新政府軍が戦闘を交え、かつて本堂裏にあったクヌギの木には、このときの攻防戦で突き刺さった弾丸の破片がみられたと云う。

現在の北茨城市の平潟港に上陸した新政府軍は、磐城平城を落とし、破竹の勢いで北上した。仙台藩、相馬藩を主力とした列藩同盟軍は、途中広野の二ツ沼付近に陣を敷き激戦となり、一旦新政府軍を押し戻しはしたが、その勢いを止めることはできず、一気にこの地まで攻め込まれた。

この頃から、相馬藩が新政府に内応しているという噂が立ち、退路を断たれる恐れを抱いた仙台藩兵は浮き足立ち、相馬藩兵との連係にも齟齬をきたし、浜街道沿いの諸所の陣で抵抗はするものの、散発的なものになってしまったようだ。

結局、仙台藩兵は現在の新地町の駒ヶ峯城まで退き、新政府軍は相馬中村に進出し、相馬藩は降伏した。